7月1日



長崎街道を行く




午後2時か3時頃、急に思い立って日見峠を歩いてきました。 江戸時代、日見峠は西の箱根と呼ばれ、大変な難所だったそう です。それを明治時代、荷車も通れるような道をという ことで日本初めての有料道路が作られることになりました。 これが日見新道です。 ちなみに、県営バス「番所」バス停は日見新道の料金所があった 名残りだそうです。 今回は峠越えはこの日見新道を使いました。 ←だって、旧街道なんて今からみればほとんど山道なんですよ(^^;

日見峠には、

1.江戸時代の長崎街道
2.明治時代の日見新道
3.大正時代の日見トンネル(国道34号線)
4.平成時代の日見バイパス

の4つの道があることになります。




さ、出発。蛍茶屋跡です。昔はここで別れの宴が開かれていたのでしょうね。




向井去来の碑といえば、地名にもなってるほど芒塚が有名ですが、街道の入口にも渡り鳥塚という歌碑があります。




国道34号線沿いにカステラの文明堂の庭園があります。




日見トンネル西口です。大正時代に作られたこのトンネルは、日見峠の交通を一新しました。当時では九州でも指折りの長大トンネルだったそうです。




っと、トンネルを通るのも芸がないので、当然、日見新道を通ります。ここは峠の切り通しです。


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