★昔の精霊流し


昔は16日の午前2時、正八ッ時の鐘を合図に始まり終夜陸統として流れ、明け方に終った。昭和初期は陽暦7月15日夜9時10時ころに始まり12時くらいに終丁する吝だったが、たいてい、12時を過ぎないことはなかった。

江戸時代の精霊船は長崎名勝図によれば、あらかじめ竹をたわめて舟形を造リ(本物に近い和船の形)麦わら、菰を以て包みこむ。これは海に浮かんだ時に潮水がはいらないようにするのであろう。また帆住を立てる。帆は白い紙を用いる。これに、極楽丸、西方丸、弘誓丸、浄土丸などの船名あるいは南無阿弥陀仏又は南無妙法蓮華経など宗旨に従って大きく書き入れる。

以上寛政から幕末くらいまでの精霊流しの出発前の状景である。「これを送るに途中、双盤をたたき鉦を鳴らし同音に仏名を唱う。」とある。但し若聖霊といってその年の初盆の船はさらにおくれて名残りを惜しむうち朝が明けたころ終ることになる、とも記してある。この精霊流しの陛上の火(灯)の行列は江戸時代でも夢のように壮観であったという記録が残っている。

◇長崎辞典・風俗文化編・長崎文献社より