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長崎ぶらぶら散策隊がいく!

平成12年10月29日

 小説や映画で話題の「ながさきぶらぶら節」に誘われて、平成12年10月29日、長崎在住有志が散策隊を結成し、「ぶらぶら節散策マップ」と道路に描かれた「ぶらぶら散策マーク」をたよりに、料亭花月梅園身代天満宮、中の茶屋と、愛八ゆかりの地を散策してきました。

♪遊びにいくなら花月中の茶屋 梅園裏門たたいて長崎ぶ〜らぶら♪ (ぶらぶら節より)


散策スタート(集合場所)は正覚寺電停。上の写真は、その名前の由来となった正覚寺。正覚寺は長崎茂木街道の出発点であり、今回の散策のゴールでもありました。

正覚寺電停から思案橋へ向かう途中、料亭「松亭」がありました。
歌謡曲でも有名な「思案橋」。今残るのは欄干だけ。 昼間の、思案橋通りです。昼間に来ることはなかなかありません。ここを通って、丸山へと進みます。

「花月」前の丸山公園には、「ぶらぶら節」の街頭が…。

いざ、最初の目的地、料亭「花月」へ。
「花月」ではこの日、お茶会があるため和服姿の女性が多数出入りしており、ちょっと緊張しました。

玄関に入るとまず目についたのが、坂本龍馬や岩崎弥太郎の写真。そして、江戸時代の丸山風景を描いた木版画。この絵が、小説「長崎ぶらぶら節」の表紙に使われています。

日本で最初の洋間「春雨の間」。許可をいただいて椅子に座らせてもらいました。床にはタイルが貼られ、当時タイルを表す言葉がなかったので、「瓦の間」と呼ばれたそうです。
散策部隊は、「花月」を後にして、次に「梅園身代天満宮」を目指しました。その途中、「長崎検番」(左写真)を見つけました。こんなところにあったんですね。

梅園身代天満宮では、みんなでお参りしました。おみくじをひいた隊員もいましたが、その結果は…、いわないでおきましょう。

3番目の散策場所は、市指定史跡「中の茶屋」。中の茶屋は、丸山の遊女屋筑後屋が茶屋を設けていたところで、千代の宿とも呼ばれました。現在の場所は、昭和46年に隣家の火事で焼け、昭和51年に復元されたものです。

建物内に入る前に、まずは庭を散策。我々以外にも、結構いろんな人たちが庭を散策してました。

散策の最後に、愛八のお墓にお参りしましました。最初は気づかずに通り過ぎてしまったほど、その墓標は、ひっそりとたたずんでしました。そして、その場所からは、立山に立つ長崎東高校が見えました。

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