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西山校舎変遷

− 「轍」展示パネル等より −



西山校舎跡地(昭和57年頃)

 県立長崎高等学校旧西山校舎は当時の当時の県立長崎高等女学校として昭和5年10月11日に竣工した建物です。当時の長崎県の営繕課長田中技師と設計主任田中技手によって監修され、重松技師の現場監督によって16カ月の工期を経て竣工しました。施工は佐世保市の山領工務店が行い、工費は269,582円を費やしました。昭和23年に長崎東高等学校旧西山校舎となり昭和54年(定時制)まで使用されていました。

 鉄筋コンクリート造4階建ての学校建築で、近世ゴシック様式を取り入れた当時としては巨大かつ清楚な建物として話題になりました。しかし昭和30年代から急速な都市化の中で騒音公害と教室の手狭さが深刻な問題となり、昭和45年立山の地へ移転が決定し、昭和51年9月に移転されました。その後3年間は東高定時制最期の学舎として、また校長会事務局として活用され、昭和56年3月に惜しまれつつ解体されました。

年代不詳

昭和38年頃

昭和49年頃

昭和51年頃

西山校舎正門 昭和50年3月(合格発表?)

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